一般社団法人児玉教育総合研究所
一般社団法人児玉教育総合研究所は、
児玉九十【 私学教育家 勲二等瑞宝章 勲三等旭日中綬章 藍綬褒章 従四位 東京都名誉都民 東京都府中市初代名誉市民 東京都公安委員長歴任
日本私立中学高等学校連合会理事長 明星学苑名誉学苑長 明星大学初代学長 東京帝国大学文学士
( 主査 東京帝国大学 文学士・文学博士 白鳥庫吉 ( 昭和天皇陛下東宮時代 東宮御学問所御用掛 )
副査 明治法律学校( 校長 フランス法律学士 岸本辰雄 )卒業
東京帝国大学 文学士・文学博士 市村瓚次郎( 上皇陛下誕生時 読書鳴弦の儀奉仕員 國學院大学学長 )) 】 が提唱し、
児玉三夫【 教育学者 勲三等旭日中綬章 東京帝国大学文学士 早稲田大学教授歴任 米国名誉文学博士 いわき明星大学初代学長 】
が継承した「真実の教育」に基づく「児玉教育」を調査・研究し、広報する世界唯一の学術教育研究法人です。
祝 副理事長 児玉 基 博士 令和2年取得
祝 理事 日江井 榮二郎 博士 令和4年
瑞宝中綬章(教育研究功労) 受章
児玉 三夫(こだま みつお) 戒名:孝徳院慈光三賢居士
小原家の先祖は「関ヶ原の戦い(慶長5(1600)年)」の後に
島津公から「小」「原」「屋」の3文字の名前を賜り薩摩国坊津久志に土着した。
児玉三夫の父小原屋隆までの当主は「小」「原」「屋」を代々名乗ってきた。
児玉三夫の曾祖父「小原茂右衛門」は薩摩国坊津久志の「寺子屋師匠」であった。
【小原屋隆の父小原茂七郎と母ハセ(児玉三夫の祖父母に関する記述)】
「坊津(現在の南さつま市坊津町)の士族 小原茂七郎は、西南戦争で捕えられ、
帰郷後は事業に失敗し破産した。田畑や家屋敷を失った家を支えたのは妻ハセで、
裁縫と機織りで生計を立て、村の娘たちのために裁縫家塾を開いた。」
旧制東京外国語学校卒業 明星大学教授 海江田進先生(英語)は、
薩摩藩士 初代 甲府鎮撫使 官選第3代 奈良県知事 海江田信義先生
(日本体育会(現在の日本体育大学)副会長(明治26年7月〜明治27年10月))の孫で、
元帥海軍大将 東宮御学問所総裁 東郷平八郎先生の孫の母校明星中学校 校長児玉九十先生
そして薩摩出身の教育学者 児玉三夫先生の教育研究にご協力頂いた。
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1915(大正 4)年 8月 1日 鹿児島県鹿児島市春日町に,小原屋隆・ミヨ夫妻の四男として誕生
※小原屋隆・ミヨ夫妻の三男三夫(1913(大正元)年生 1915(大正4)年6月没)もいた.
(叔父 小原國芳先生は玉川学園学園長 次兄 鰺坂(小原)二夫先生は甲南女子大学学長)
1924(大正13)年度途中 鹿児島県女子師範学校附属小学校3年次途中より,
成城学園(校長 澤柳政太郎)へ転入
(叔父の小原國芳先生が,長田新先生による澤柳政太郎先生へのご推挙により,
成城学園に奉職したため,小原屋隆一家も鹿児島から東京へ移住した)
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1928(昭和 2)年時点 成城学園 校長 澤柳政太郎(文学博士(1914(大正3)年7月))
(大谷尋常中学校長、群馬尋常中学校校長、第二高等学校長、第一高等学校長、
高等商業学校長(現 一橋大学)、貴族院議員、東北帝国大学初代総長、
帝国教育会会長、京都帝国大学第5代総長、
京都帝国大学第6代総長は東京帝国大学総長 理学博士 山川健次郎(兼任))
(文学博士(1914(大正3)年7月):中島泰蔵博士と澤柳政太郎博士は同時)
1928(昭和 3)年 3月 成城玉川小学校 卒業 (校長事務取扱 小原國芳)
1932(昭和 7)年 3月 成城高等学校 尋常科 卒業 (校長 小原國芳)
1935(昭和10)年 3月 成城高等学校 高等科 文科 卒業(校長 銅直勇)
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1938(昭和13)年 3月 東京帝国大学 文学部 教育学科 卒業
東京帝国大学総長 長與又郎(医学博士(明治44年))
(肥前国大村藩 漢方医長與中庵
(緒方洪庵 適塾塾頭(福澤諭吉の後任))の子)
(慶應義塾幼稚舎、第一高等学校、東京帝国大学医科大学、医学部長、
東京帝国大学初代野球部長)
卒業論文テーマ:「ペスタロッチの教育思想」
指導教員:東京帝国大学教授 入澤宗壽(文学博士(昭和4年)))
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4月 長崎師範学校 教諭(〜昭和17年 3月)
(学生サッカー選手の経験を生かし,同校サッカー部顧問に就任した)
1942(昭和17)年 4月 文部省 国民精神文化研究所 嘱託(〜昭和18年 3月)
1943(昭和18)年 1月 児玉九十・ヒサ 三女 児玉泰子と結婚,児玉家の婿養子となる
応召( 3ヶ月程度の国内教育召集)
4月 財団法人 明星中学校 教諭(〜昭和23年 3月)
1944(昭和19)年 7月 応召(大陸方面へ)(〜昭和21年初夏)
1948(昭和23)年 4月 新制 明星高等学校 教諭(〜昭和24年 9月)
1949(昭和24)年 9月 東京農業教育専門学校(現在の筑波大学) 文部教官(〜昭和26年 3月)
(実兄の鰺坂二夫先生が他校転出のため,その後任として着任した)
10月 新制 明星高等学校 非常勤講師(〜昭和35年 3月)
1951(昭和26)年 3月 学校法人 明星学苑 理事(副理事長)・評議員(副理事長:〜昭和53年 3月)
4月 東京都立大学 人文学部 助教授(〜昭和35年 3月)
早稲田大学 文学部 非常勤講師(〜昭和35年 3月)
(原田実先生からお誘いを受けた)
(昭和21年〜昭和29年:早稲田大学第6代総長 商学博士 島田孝一先生 (日本私立大学連盟初代会長))
1953(昭和28)年 7月 文部省・東京都共催 関東地区社会教育主事講習
実施責任者・主任講師 委嘱(期間: 6ヵ月)
1954(昭和29)年 7月 文部省 在沖縄現職教員再教育 講師 派遣(期間: 2ヵ月)
1955(昭和30)年 4月 文部省 社会教育審議会 分科会 委員(〜昭和32年 3月)
1957(昭和32)年 7月 欧米教育視察(期間: 2ヵ月)
(岳父の児玉九十(西独フランクフルト 世界教育者会議 日本代表)と共に)
1960(昭和35)年 4月 早稲田大学 文学部・大学院 文学研究科 教授
(昭和51年に教育学部へ移籍,〜昭和53年 3月)
(原田実先生の定年退職にあたり,その後任として,着任した.
就任辞令は,早稲田大学 総長 大濱信泉 先生より直々に受け,激励された.)
(昭和29年〜昭和41年:早稲田大学第7代総長 大濱信泉先生 (日本私立大学連盟副会長))
1964(昭和39)年 3月 明星大学 副学長(〜昭和53年 3月)
4月 明星高等学校・明星中学校・明星小学校 各副校長,明星幼稚園 副園長
(〜昭和53年 3月)
1968(昭和43)年 3月 中近東クウェート・欧州諸国 教育視察(期間:40日)
4月 日本私学教育研究所 運営委員(〜昭和50年 3月)
11月 東京都私立中学高等学校協会 永年勤続表彰
学校法人 明星学苑 永年勤続・大学創立功労表彰
1971(昭和46)年 8月 欧米諸国及びアフリカ・ザイール国 教育視察
1972(昭和47)年 4月 私立大学通信教育協会 評議員・理事
9月 ソビエト連邦及び東欧諸国 教育視察
(日本対外文化協会派遣 日本教育者代表団 団長)(期間:37日)
1973(昭和48)年 2月 財団法人 大学基準協会 通信教育部研究会 委員(〜昭和50年 2月)
6月 文部省 大学学術局 計画中の
放送大学(仮称)の組織運営に関する専門委員会 委員(〜昭和50年 3月)
11月 学校法人 明星学苑 永年勤続表彰
1974(昭和49)年 8月 イラン・英国・米国諸国の教育視察(期間:24日)
10月 東京都府中市より社会教育振興への尽力につき感謝状を受ける
11月 財団法人 日本私学教育研究所 評議員(〜昭和53年10月)
1975(昭和50)年 8月 中近東・英国・スイス・オランダ諸国 教育視察(期間:35日)
1976(昭和51)年11月 文部省 大学設置審議会 専門委員(大学基準分科会)(〜昭和56年 3月)
1977(昭和52)年 3月 日本私立大学協会 大学入学者選抜制度 研究委員会 委員
8月 欧州・中近東諸国 教育視察(期間:20日)
10月 東京都 都知事表彰(学校教育功労)
1978(昭和53)年 4月 学校法人 明星学苑 理事長(〜平成 7年 5月)
明星大学 学長(〜平成 7年 5月)
明星高等学校・明星中学校・明星小学校 各校長,
明星幼稚園・明星大学付属幼稚園 各園長
(小学校 校長のみ:〜平成 7年 5月,他の校長・園長:〜平成 3年 5月)
早稲田大学 教育学部 非常勤講師(〜昭和54年 3月)
日本私立大学協会 評議員
5月 日本私立大学協会 理事(〜昭和57年 3月)
12月 文部省 放送教育開発センター 運営協議員(〜昭和57年)
1981(昭和56)年 4月 藍綬褒章(私学振興功労) 受章
9月 放送大学 運営審議会 委員(〜平成元年 8月)
日本大学出版部協会派遣 訪中団 副団長(期間:14日)
10月 文部省 大学入試制度改善のための委員会 委員
日本私立大学通信教育協会派遣 欧州教育視察団 団長(期間:14日)
1982(昭和57)年 1月 宮中御歌会始の儀にお召を賜る
4月 日本私立大学協会 常務理事
フォルジャー・シェークスピア図書館 創立50周年記念式典 参加のため渡米.
ドナルド・レーガン米国大統領主催レセプション(ホワイトハウス)にて,
ドナルド・レーガン米国大統領と歓談
1984(昭和59)年 4月 日本私立大学団体連合会 代議員・全私学連合代表者会 議員
10月 文部省 教育職員養成審議会 委員(〜昭和63年 9月)
明星大学 創立20周年記念式典の際,前 英国首相 ジェームズ・キャラハン氏,
駐日米国大使 マイク・マンスフィールド氏のご臨席を賜る
1985(昭和60)年 5月 米国イリノイ州 リンカーン大学 名誉文学博士の称号を受ける
米国テネシー州 リンカーン・メモリアル大学 名誉文学博士の称号を受ける
8月 文部省 大学設置審議会 設置分科会 委員(〜昭和62年8月)
11月 夫人 児玉泰子 没
1986(昭和61)年 5月 米国 サンフランシスコ大学 グリーソン図書館協会
「サー・トマス・モア・メダル」 受章
1987(昭和62)年 4月 いわき明星大学 学長(〜平成 3年 5月)
5月 米国 ミシシッピー州立大学 生涯教育名誉教授の称号を受ける
7月 英国 地球座 起工式 参加,エジンバラ公フィリップ殿下に謁見
滞在先にて,前 英国首相 ジェームズ・キャラハン氏とも再会
9月 文部省 大学設置・学校法人審議会(大学設置分科会) 委員(〜平成元年 3月)
世界愛読者協会 総会(デンマーク・コペンハーゲン) 参加(期間: 7日)
10月 中国 ハルビン師範大学 顧問教授の称号を受ける
1988(昭和63)年 4月 シェークスピア展(東京・日本橋・丸善)にて,常陸宮正仁親王殿下にご説明
1989(平成元)年 9月 世界愛読家協会 総会(ハンガリー・ブタペスト) 参加(期間: 7日)
12月 岳父 児玉九十 没
1991(平成 3)年 5月 中国 黒龍江大学 名誉教授の称号を受ける
1992(平成 4)年 1月 いわき明星大学 名誉学長
1993(平成 5)年 春 勲三等旭日中綬章 受章
1994(平成 6)年11月 広島大学 教育学部 第3回 ペスタロッチー教育賞 受賞
(児玉三夫病気療養中のため,長男の児玉伸雄が表彰式に代理出席,
慶應義塾大学 名誉教授 村井実先生による記念講演が行われた.)
1996(平成 8)年 9月23日 没